まぐろぐ

ゆるゆる備忘録。

憧れの先輩ができた話

職場で1番歳が近い先輩は、ことしで3年目の先輩である。

この先輩、仕事が早くて正確という優秀な方である。そして私が1番尊敬しているところは、"誰でもできるけれど面倒でやらない仕事、しかし誰かがやらなければ今後みんなが困る仕事" (つまり雑用) をさりげなくやっていることである。

雑用をやるのはそんなに難しいことではないと思う。やれと言われれば入って4ヶ月弱の私でもできる。でも、雑用とは案外気付きにくいもので、それを気付くか気付かないかが全然違う。周りが見えているということである。

 

私は、自分であまり周りを見れていないと感じることが多いので、周りをきょろきょろしながら仕事をするようにしている。注意散漫にならないように全集中するのだが、自分の仕事と周りを見ることの両立は結構難しい。

 

周りを見れるということは、周りへの配慮ができる余裕があるということだ。先輩は、よくヘマをやらかしたり、まだまだ分からないことばっかりの私に対しても、必ず一緒に対応してくれる。例えば、自分のデスクでなにか分からないことがあったら、わざわざ足を運んでくれる。忙しいとどうしても、口で説明されるだけになるのだが、その先輩は必ず手を止めて、先輩の目で対応してくれるのだ。

 

私の目から見れば、この先輩に周りを見れる素質がそもそも備わっていたとしても、3年目でここまで周囲に配慮できるのはすごいと感じる。冗談抜きで尊敬している。憧れの先輩である。

 

私もそうなれればいいのだが。

 

最後にこの先輩のことを綴ろうと思ったきっかけを。その先輩のデスクには気をつけるべきことのふせんが数枚貼られているのだが、その1枚に、"後輩が困っていたら助けること!" と書かれてあった。

やっぱり先輩は優しい上に、周りを見る力があると確信した。

熱狂的なファン、というわけじゃなかったけど、三浦春馬さんが亡くなったことは衝撃的だった。

 

芸能人、特に俳優さんや女優さんはとてもキラキラしていて、いつでもきれいに笑っているイメージがある。三浦春馬さんも例外ではなかった。

 

初めて訃報を知ったとき、不謹慎ながらもなんで?と思ってしまった。キラキラした人生の中で、人知れず苦しくて辛い思いを抱えていたのだろうか。

 

三浦春馬さんと私の生活など比べ物にならないと思うが、私ですら、死にたいと思ったことがないわけじゃない。

というか、かなりの割合の人が思ったことはあるのではないかと思う。

私の場合、今考えればなんてことないと思えるのだが、苦しい時はずっと頭にそのことが残っていた。けれど、結局、生きている。

 

だからいくら想像しても、三浦春馬さんが自分の命をたつと決めた時に、その準備をしているときに、命が消えてしまう瞬間に、なにを思っていたのかわからなかった。でも、しんどくてしんどくてたまらなかったのだろうと思うと、胸が締め付けられる。

 

どうしようもなさが後味悪く残ってしまう。やりきれないとはこんな気持ちを言うのかもしれない。

こんなことを書いてもなにも救いにならないかもしれないが、天国で本当に笑ってくれているといいなと思う。

書こうと思っていたことを急遽変更しようと思う。

 

誰かとの区切りのなか、自分は笑いながら、大したことないみたいに言えてしまって現実味がなかった。

 

つらいとか寂しいとかちゃんと言えればよかったと後悔しても遅いと思うことが本当にあるんだと思った。

 

Twitterみたいな文章になってしまいました。

忘れるくらいならメモ取るべきとはわかっている。

毎日、職場で歯磨きをしながら今日の日記のテーマを考えるのだが、そのテーマを失念した。

 

忘れてしまうくらいだから大した内容ではなかったんだと思うが、せっかく思いついたアイデアを形にできないのは悔しい。

 

それを思い出すのがどれくらい絶望的かと言うと、内容の概要すら説明できないほどだ。覚えているのは歯磨きをしながら考えたことだけである。

 

たぶん、別のことにすぐ気を取られてしまったんだと思う。

 

そんな日もあるさ。

人の言動が気になる話

この日記はだいたい寝る前に書いている。だから、暗い話はそれほど書かないようにしているのだが、短めに一言。

 

入社して3ヶ月経っているが、未だに職場では気が抜けない。いろんな人に気を遣ったり、人目を気にしたりしている自分に驚く。そんな能力あったのかと。

 

学生時代、そんな風に気を張るような場面はあまりなかった。だから、他人の言動などあまり気にしないと思っていたのだが、案外そうではなかったようで。

 

他人にとやかく言われることを完全に無視できればいいのだが、そうもいかない。そういう気にする能力はいつから身についたのだろうか。

 

深く悩まないようにしたい。