人生n回目だと思われる友達からもらった3つの言葉
タイトル通り、そんな友達が私にはいる。
なぜこのブログの一番最初に彼の話を書こうと思ったのか、明確な理由はわからない。
でもたぶん、コロナ流行のせいで、あまりにも人に会えていない状況だから、学生時代が恋しくなってしまったんだろうと思う。
彼はとても個性的で、人生n回目なのではないかと思われるくらい、当時の私からしたら達観していた。
というか、おそらく私が幼稚であったから、彼がものすごく大人に見えていたんだと思うのだが、少なくとも彼は私を、おおげさにいうと救ってくれる言葉をかけてくれた人である。
彼と出会ったのは6年前で、大学の学科が同じ上に学籍番号が近くだったので、いちおうお互い認識していた(はず)。
出会った当初は会話もほとんどしたことがなく、話しても敬語という謎なコミュニケーションをとっていた。
それなのに、なにをきっかけだったかわからないが学部3年生くらいから急激に話すようになった。
なんとなく遊ぶようになって、それなりに面白い話や愚痴なんかも言っていた気がする(そのときはもう敬語ではなくなっていた)。
その時期に、彼から「第一の名言」を賜ることになる。
私は当時、何かに悩んでいて、それを解決することができなくて考え込んでいた。でもそれは考え込んだとしても解決するようなものではなかったため、私の頭の中は堂々巡りを繰り返していた。
何気なくその悩みを彼に喋ってしまい、特に返答を期待していたわけではなかったのだが、彼は
「そんなの、俺なら考えるのを放棄するね」
と言ったのである。
私はとても衝撃を受けた。まず、「悩み」をそもそも認めないという態度。悩むか悩まないかではなく、そんなものはないのだという態度。次に放棄するという堂々とした逃げの態度にびびった。
改めて振り返るとけっこう普通のことっぽくてそんなにすごくない感じがするが、真面目で、考え込むタイプの私にとって、脳みそをぼっかり掘り返されたくらいの衝撃だったのだ。
衝撃的すぎて、「こいつは私人間にはない宇宙人レベルの考え方を持っているな……」とまで思った記憶がある。めっちゃ失礼。宇宙人にも失礼。
このエピソードあたりから、なんとなく私と彼は真逆の考え方を持っているらしいと気づき始めるのだが、この真逆こそが、のちにいい味を出してくるのである。
続きはまた