まぐろぐ

ゆるゆる備忘録。

人生n回目だと思われる友達からもらった3つの言葉 その3

この話に決着をつけよう。

 

それは大学院に入った年の冬のことだった。

私の研究はまったく軌道に乗らないままで、修士課程の半分を迎えようとしていた。

あとから思うと、研究の進捗が遅かったのは私自身の力量もあるが、ある程度は仕方なかった。

しかし私は、なかなか進まない研究に加え、こだわりの強い先輩とちょっとした衝突をしていたため、そこそこ追い込まれていた。研究の都合上、土日もなく毎日研究室に通っていたこともあってか、日に日に自分のしていることが無意味なのではないか…と感じるようになった。

研究で悩んでいても先輩に相談できず、むしろ進捗状況が悪いのは私自身の問題でしかないとまで言われてしまう始末だった。

 

だんだん追い込まれた私は、自分自身の存在価値までも疑い始めていた。

 

12月のある日の深夜、不意に、お先真っ暗だ、と思った瞬間、涙が止まらなくなった。

あ、しんどいんだ、やっぱり辛かったんだと認識した。次に思ったのは、でも誰にも頼れないということだった。どうしたら、とぼろぼろ泣きながら、彼のことを思った。

 

そもそも私は、家族以外の人に悩みを打ち明けた経験がほとんどない。だから、彼のことが頭によぎって、相談したいと思ったことは、私にとっておおごとで一世一代の決意だった。

 

そんな思いで、彼とご飯を食べにいった年末、今の状況がしんどくてたまらないと打ち明けた。私は話している最中に泣き出してしまい、彼はそれに少しびっくりしながらも、最後までちゃんと聞いてくれた。

 

私が話し終わってから、彼は、なんて言っていいのかわからないけど、と前置きしてから、

 

「俺はまぐがいなくなると悲しいよ」

 

と言った。

 

その目には少しだけ涙が溜まっていて、ほんとうに悲しそうな顔をしていた。まるで自分が経験したみたいに。彼のそんな顔を見たのは初めてだった。

 

私はその言葉にまた泣いた。追い込まれていた私を根本から引き上げてくれた言葉だった。悩みの具体的な解決策を言われるよりも断然良かった。

彼は入学直後にも、私と2人ならなんでもできると言っていたことも思い出した。彼は本当に私を信頼してくれていたんだと思ってまたまた泣いた。

 

私とは真逆の考え方なのに、こんなにもほしい言葉をかけてくれる彼は、実は私のことをよく見てくれていたのかもしれない。

 

紆余曲折ありながら、私と彼は一緒に大学院を修了した。振り返ってみれば、彼がいなければ途中でドロップアウトしていたと思う。だから結局のところ、彼と「2人」であったからなんでもできたということなのだろう。

 

彼とは大学院修了後、就職のため離れてしまい、会っていない。そもそも連絡不精だから連絡もとっていないのだが、元気にしているだろうか。

コロナが落ち着いてきたら、会って改めてありがとう、と伝えたい。

 

私にとっても彼は、いなくなると悲しい。そして、あの時からずっと、いてくれて救われた存在なのだから。