どうかこれ以上の被害が出ないことを祈る
雨が激しい。
ここ数年の雨の激しさにとても驚いている。そしてその雨がもたらす被害にも。
それらの被害、雨のみならず天災による被害がニュースで報道されるたびに、胸が締め付けられる。
天災で初めて衝撃を受けた経験といえば、2011年の東日本大震災だった。私はあの日、中学の卒業式の前日だった。学校が休みだったので、自宅でテレビをつけっぱなしにして、お昼のニュース番組にチャンネルを合わせていた。速報の音が入り、地震の規模の大きさを伝えはじめ、私はさっきまで見ていなかったニュースに釘付けになった。リアルタイムに報道される東北の様子は、終始、現実味がなかった。
え、嘘でしょ、でも人は死んでないよね?とテレビの画面に問いかけていたことを覚えている。
時間が経つにつれ、徐々に明らかになる被害に、目を覆いたくなるような気持ちだった。
人が亡くなることもそうだが、私は家が壊れて流されたり、浸水したりする様子に、より悲しみを感じていた。
衣食住は生活の支えになるものだから、その「住」が奪われる不安は計り知れない。自分だったら、これからどうやって生活しようか、途方に暮れてしまうだろうと。
もうこれ以上、生命や生活を脅かさないでくれと、ずっと懇願していた。
同じ感情が、2年前の西日本豪雨、そして今の九州豪雨で湧き起こっている。慣れ親しんだ家や土地が、崩れ落ちる映像は辛すぎて直視できなかった。私は実家が西日本にあるので、家族や友達がとても心配で、何度も連絡や情報を送った。
そして、今、九州や西日本がとても心配な状況である。
離れたところにいる私は、ちゃんとためらわず避難をするんだよと呼びかけることしかできない。
天災の前では人は無力だと言うが、それをひしひしと噛み締める出来事が最近は多い。でも、すこしおおげさすぎるくらいの警戒や対策を持つことで、無力が微力になったり、一転して大きな助けになることだってあると信じたい。
大切な人たちには、常に笑っていてほしい。だから、私は自分にできそうなことをして、これ以上の天災がすべての人にふりかからないことを祈る。
夕飯後に寝ていたら負のルーチンができあがっていた
最近、とても疲れているのか、すぐ眠くなってしまう。
帰宅は大体18時半で、夕食の時間は19時半前後になる。ご飯を食べて少し横になると、そこから軽く3時間くらいは寝てしまう。だから、目が覚めると22、23時になっている。
当然、私は寝ようと思って寝たわけではないので、起きて時間を確認しなければ、時間帯が全くわからない。むしろ、時間を確認しても「え、こんなに寝てたの!?」となり、頭が混乱して、状況を整理するのは容易ではない。
最大のデメリットとして、22、23時に起きてしまうと、そこからお風呂に入ったり、次の日の準備をしたりするので、「真の寝る前ルーチン」に時間がかかる。つまり、さあ寝るぞと思って寝ようとする時間が遅くなってしまうのだ。そしてまた睡眠時間が中途半端になるため、次の日も夕飯後に寝て、寝る時間が遅くなって、睡眠時間が中途半端になって…(以下略) という「負のルーチン」が出来上がるのだ。
まさしく今日もそんな感じで、起きたら23時過ぎだった。起きた時、何時どころか何日何曜日かもわからなかった。明日はお休みなので、睡眠時間が削られることはないが、さすがにこの「負のルーチン」は身体に堪える。
早めに断ち切ってしまいたい。
頭も身体もしんどいので
一応毎日、日記をつけるようにしているが、今日は何かを考えるのがものすごくしんどい。
なぜなら生理前だからだ。なんでも生理のせいにするなと言われても仕方ないが、生理前後だからどうしようもないこともあるのだ。
だから今日はこの辺で。
25歳女性が身だしなみから女子力を考える
ある日曜日の昼下がり、暑すぎてアイスを買いに行こうとコンビニに行った。
家からコンビニまではおよそ100m。途中信号を渡らないといけないが、ほんのちょっとの距離と時間で到着する。
私は部屋着のまま、上着を羽織った。このご時世であるからマスクは必須。しかし顔面は生まれたままで(いわゆるすっぴん)髪の毛は寝癖と判断されない程度に整え、財布と携帯とマンションの鍵だけ持って、靴下は履かずサンダルで出かけた。日差しはさほど強くはなかったが、外に出た瞬間の熱気は凄まじい。
同じタイミングで、同じマンションから同年代らしき女の子が出てきた。彼女はピンク色のフリルのブラウスを着ていて、足がきれいに見えるショートパンツ、ヒール、小さめのショルダーバッグを肩から下げ、日傘をさしている。そして、同じ方向に向かって歩き出した。
これから彼氏とデートだろうな、と私が思っていると、彼女、私が向かうコンビニへと入っていく。暑いし、飲み物でも買っていくのか、とその時は思った。
私がアイスを選び、会計を済ませて外に出ると、先ほどの彼女が再び日傘をさして、もと来た道を戻ってゆく。そして、彼女はそのまま数十分前に出てきたマンションの中に消えていった。
まさかたった100mを歩くだけであんなにちゃんとした格好をしていたのか。私は非常にびっくりして、とっさに「女子力、高いな」と思ってしまった。
しかしそもそも「女子力」とはなにか。私と違って彼女のように、身だしなみを整えて出かけることが女子力なのか。でもそれなら男性だって当てはまるのだから、女子力というのは違うのでは?
そう思って「女子力」を検索した。Google先生の1番トップに出てきた意味は「女性が自分の生き方を向上させたり、自身の存在を世の中に示すために使う力を指す言葉」と出た。つまり前半の文章からは女性ひとりひとりによって「女子力」は異なっているということだ。なるほど。
転じて後半。ものすごい牽制と若干のイタさを感じる。というか、前半と比べるとめちゃくちゃ独りよがりな気がするのだが。前半の意味を採用すると、ひとりひとりが「女子力」と思っていることは違うので、自分の中の「女子力」をアピールしたところで評価の対象にはならない気がする。
私の言いたいことが伝わっているか微妙だが(おそらく伝わっていないです、文章力の低さです…)、「女子力」というものは、自分の中で決めるものであって他人を評価するものではないということと解釈した。だから他人に向かって「女子力」が高いだの低いだのと言うのはナンセンスである。
つらつら書いたが、結局私の中の「女子力」はなにかわからない。しかし女子力うんぬんに限らず、外へ出る時は最低限の身だしなみを整えようと思う。
年齢的にもう「女子」とは言えないが、生き方を向上させるような「力」があるなら、ぜひ見つけてみたいものである。
新卒社会人が資料まとめをしたら(真面目モード)
こんな時間まで、なんと仕事でもらった紙の資料のまとめをしていた。
ずっとやらなければとずるずる引き伸ばしてきたのだが、資料がまとまっていないと探すのが面倒なので、ついにきちんとまとめることにした。
というか、そもそも今までまとめてこなかったのは、いいまとめ方を模索していたからと言い訳しておく。先日、仕事で新しいことを教えてもらった際、3年目の先輩がきれいにまとめられた資料を見せてくれ、すぐに真似しようと思った。この先輩、仕事が早く、上司からも「手のかからない優秀な人」といった評判の持ち主である。真似するしかないと感じた。
その先輩は、資料まとめには欠かせないファイルを使用していたのだが、項目ごとに振り分けられているほか、項目を記したインデックスを貼り付け、一瞬で目的の資料を引き出せるようになっていた。几帳面にまとめられているなとびっくりしたのだが、この方法があったか、と感心した。
まとめ方が上手い人、というのはインデックスを使っているイメージがある。学生時代にも使用していた友人が何人かいたのに、そんな身近なものの存在を忘れていた。
というわけでファイルとインデックスを購入し、早速まとめに取りかかった。なるほど、項目がバラバラで探しにくかった資料が嘘のように整然をまとまった。思ったよりきれいにまとまってしまったので、テンションがあがり、こんな時間までまとめ作業に費やしてしまった。
資料をきれいにまとめておく、というのは仕事をする上で基礎のことだと思う。大事なことを学んだ気がした。